遁世雑記其ノ二十四 「かかる暮らしの釘一本」

(2011年7月記 改稿)




往々にして人間というものは畢生において果たすべき役割があって、その役割を果たすまでは人間は刺されようが撃たれようが死なぬというのが持論なんだけども、そんなだから高校の時に精神病を患い圧倒的なまでの浮遊感と一体化し、死の手前まで追い詰められてセブンティーンの記憶の一切が抜け落ちた俺も現在までこうして何んとか無様に行き伸ばしてるわけである。即ち俺に与えられた役割を見つけることが20代のうちの天命であると考えているわけなんだけども、果たしてそんな大層な役割なんぞはすぐに見つかる代物でもなく、思案に思案を重ね、この瞬間より次に与えられた命題こそが人生の役割だと捉えることにしようと熟考していると、母親に声をかけられた。




「なぁ、ちょっと」
「ん?」
「トイレのドアノブから釘飛び出てるから直しといて」










俺の人生の役割:トイレのドアノブを直す(吐血)




おいちょっと待て、俺にこんな役割を与えた神を呼んでこい。前言撤回である。役割を定めるのは延期することにした。


それにしてもうちのトイレのドアノブ、正確にはノブの下の部分から釘が飛び出ており、危険なことこの上ない。
幾度となくトンカチでぶん殴っても鮫の歯のように何度も何度も飛び出てきやがり、なんだこいつは、ペットとして飼ってやろうかと思うくらい飛び出てくる。
しかしながらこれは何度もトンカチでぶん殴る以外に解決方法が無く、鉄鋼や貴金属の類に詳しい叔父なんかはトイレごとぶっ壊せと野蛮なアドバイスをくれるんだけども、当然トイレをぶっ壊してしまえば我々家族の膀胱が破裂してご近所さんの笑いものになり路頭に迷うわけであって、かかる暮らしの中、今日もトンカチでぶん殴るのである。


一見、大げさに云うほどでもないんだけども、少しでも目を離した隙にすくすく育つ様は非常に厄介で、というのも、例えば我が家に来客が来た場合である。
その際にちょろっとだけ出ていた釘を見つけた場合は「あ、釘が飛び出てる、危ないなぁ」くらいにしか思わないんだけども、おもくそ出ていた場合は「あ、これウォシュレットのボタンかな」みたいな感じで押しかねず、そうなった場合、客の指に傷がつくわ、恥をかくわ、ウォシュレット出ないわでもう最悪、訴訟を起こされて結局のところ我が家は路頭に迷ってしまうわけで、この状況を打開せねばならないのである。


そんなわけでこのうーちゃん、大工の一つも出来ずに男を名乗ってられるかい、普段から映画や女や云うとるわけやあらしまへんのやで、と工具セットを片手に一人トイレに閉じこもり、ノブと格闘した7月の初旬である。

しかしながらこれがどうにも巧くいかず、細い隙間にトンカチをぶち込まなければならない上に二度と出てこない仕掛けを作る必要があって、ドライバーやペンチでいじくり回したところで釘は何度も出てくるし、かと言って乱打してしまってはノブがぶっ壊れて話にならないので、なかなか頭の使う作業である。

そうしてクーラーも扇風機もあるわけのない密閉した空間で、業者でもない俺がトンカチを振り続け、汗をかき、視界がぼやけ、脳内にある黒点が膨張し、思考力は低下、循環機能のバランスが崩れ、森羅万象の秩序は崩壊、社会には懐疑と憎悪の念が蔓延り、街は遁世者で溢れ返り、生き場を失った女は涙を流し、捨鉢に拉がれた男は首を吊り、三文ヒューマニズムに引っかかった子供たちは絶望し、愚鈍は腰を振り、老骨は摂取し、狂気の情念が浮世を律動し、そして何もかも滅んでいったのであった……





ドアノブから飛び出た釘一本押し込めぬだけで、将来に対する絶望と猜疑が押し寄せ、右手にトンカチ、左手にペンチを持ったまま、頭を抱えた体勢で暑苦しくおまけに臭い便座に座りこむ俺。窓の外では高校生のカップルがキャッキャ云いながら楽しく制服デートにいそしんでいるというのに、俺は何をやっているのだ。こんなのではダメだ。こんなところで堕落してはならぬ。将来を有意義に過ごすためにも、年上で個性的で映画好きでメガネでムチムチで世間のルートに乗らず自由な生き方をしている嫁さんを貰ってヨーロッパの映画を観ながらキャッキャ云いあう人生を送るためにも、俺はここで釘を引込めなければならないのだ。

意を決した俺は再びトンカチを握った右手に力を込め、作戦を練り直した。
釘を何んとかしようと思っているうちはダメなのだ。釘を精一杯押し込め、もう二度と出てこようと思わぬほどに打ち付けてやるのだ。それしかない。
未だ見ぬ楽しい人生を考えると俄然力が湧いてきた俺は、渾身の力を込めてトンカチを振りかぶった。
















ブゥゥゥゥゥン
















ガツーーーーーーーーーーーーン
















オンギャアァアァアァアァアァ!!!!!

































IMG_20140222_161440.jpg





















なぁおかん






めんどくさいから親父に任せよう
スポンサード リンク






遁世雑記其ノ二十三 「いき遅れた老骨もまた儚し」

先日、2人の友人と駅前を歩いていると、左前方にニット帽を被った平凡な老人がいるのに気付いた。
その老人たるや歩く速度が非常に遅く、20m近く離れて歩いていた俺たちがものの数秒で横並びになるという物理学の常識を覆しかねない珍事が発生した。
しかし直後、そのような珍事を圧倒的に凌駕する珍事が立て続けに発生したのだから人生は面白い。
その老人が突然俺に話しかけてきたのである。

「……話は変わるんやけどな」










( ・_・)(・八・ )






いやいやちょっと待て。
たまたま横を歩いてた若者を捕まえて「話しは変わるんやけどな」って何だその斬新な会話術は



俺は思案した。もしかすると、これは俺よりも50年多く人生を経験したこの老人が身に付けた一つの処世術ではないか?

つまるところ、女性がいきなり近付いてきた男に「今何してるの?」とか「一人?」とか尋ねられた場合はナンパに相違いないわけであって、興味のない女性ならば「今忙しいので」と見向きもせずに立ち去るのが通例であるが、男の第一声が「話しは変わるんだけど」であった場合どうなるであろうか。

突然、初対面の男にそう云われると、女性は「えっ、何?」と足を止めざるを得ないのではないか。
そうなるとこれはもう男のペース、「話しは変わるんだけどお茶しない?」などと語尾を付け足せば、気が動転している女性は思考回路に深刻な支障をきたし、「え、あ、はい」と思わず承諾し、思いのほか話が弾んだ結果その1時間後にはホテルに直行という可能性もあり得るのではないか?(真顔)





そう考えると、この切り出し方は深い。これは話しかけられた側にも相当な会話のテクニックが要求される。その返事によって、会話の主導権がどちらになり、その後どういった流れになるかが決定するからである。



これらの考えが僅か0.3秒のうちに脳内を駆け巡り、俺は「はぁ、何すか」思考を何一つ生かせてない盆暗な返事をしていた。

俺が微かな緊張で体を硬直させていると、老人は皺だらけの顔に更に皺を寄せ、ドスの利いた声で





「わしって、足が短いんかなぁ」

















知らんがな










あんたの足が短いかどうかは紅白歌合戦の勝敗くらいどうでもいいので知ったこっちゃないんだけども、表情は変わらず真剣そのものなので、会話を続けてみた。

「どうしたんすか」
「いやな、わしの足が短いんか思うて。わしの横、若いもんみんなスーっとな、追い抜いていきよる。わしなんかお前、道歩いとって何人に抜かれたか分からん」

ははぁ。つまりこの爺さんは周りを歩いている人たち全員が自分を追い抜いており、もしかすると自分の足が短く歩幅が狭いのが原因かもしれぬ、そうに違いないと案じて、自分を追い抜く若者の一人である俺に救いの手を差し伸べる意味を込めて悩みを打ち明けたのである。知るかボケ




「まぁ、みんな歩くの早いですからね」
「時代の流れっちゅうもんは、恐ろしいな」
「ほんまそうですね」
「兄ちゃんなんかお前、足長いのにわしと同じでゆっくりやがな」
「もう少しゆったりと生きたいもんですよね」
「兄ちゃんええマフラーしとるやないか」





もうちょっと話まとめてから来てもらえますかね






何が悲しくて昼日中からどこぞの爺さんと世間話をしなければならないのだ。気付けば俺の横にいた友人たちも、俺が話しかけられると同時に「ファサー」という擬音と共に5歩後ろに下がっていたため、これはもはや切歯扼腕、謎の爺さんはうーちゃんに任せておこうというオーラが背後から脳髄に伝わり、俺は一番左を歩いていたことに関して凄まじい後悔の念に駆られた。



「え、はぁ、どうも」
「恋人のプレゼントかいな、え?」
「いやー彼女はいないですよ。自分で買いました」
「わしそこの角にある飲み屋の常連やねん」








2014y02m11d_223458987.jpg





何だこれは。
なぜこうもキャッチボールにならないんだ?
冒頭の「話しは変わるんやけどな」を適所に組み込んでくれということか?
会話の時系列を並び替えると成立するのか?
この爺さんはクリストファーノーランの映画なのか?


そこの角にある飲み屋の常連やねん、と口走った爺さんは突然豪快に笑い始め、「ほなな!」と手を振り、パチンコ屋の中を3秒ほど覗いてどこかに消えていった。

不意に訪れた別離に安堵するあまり、わけもわからず超爽やかな笑顔で「お疲れっす!」と口走ってしまったものだから、後ろから小走りで現れた友人に「今の人知り合い?(^-^)」と言われ、俺の中で小さな殺意が芽生えるのに時間はかからなかった。


スポンサード リンク







プロフィール

寂々兵

Author:寂々兵
都会の映画祭や名画座に指を咥えながら日々を過ごす田舎在住の一介の映画好き。奇怪、不穏、不条理といったテーマの映画に惹かれますがフランスのラブコメも好きです。最近は80年代前後の未DVD化作品の発掘に邁進中。たまにライターなど。将来の目標はヒモ。

*好きな監督*
ジャン=ピエール・メルヴィル
キム・ギヨン
クロード・シャブロル
エドワード・ヤン
アレックス・デ・ラ・イグレシア
岡本喜八


Twitter
http://twitter.com/CinemaYouth3919

Filmarks
http://filmarks.com/users/Monteiro

カウンター

ブログ内検索

人気記事