遁世雑記其ノ二十六 「お花見奮闘記1 裸足で行かざるを得ない」

お久しぶりです。うーちゃんです。
皆さんお元気してますか?

俺もいよいよ社会人となりまして、まぁ守秘義務とか色々あるので仕事のことはブログで書けません。
なのでプライベートの出来事からネタを探さなくては……バス通勤なのでバス日記も継続できそうです。

というわけで、ブログの知名度を上げるべくamebloに移行してからというもの、時間や余裕の取れなさで結局更新できないでおりました。
amebloはfc2ほど機能性に富んでないんですけど、コミュニティサービスはブログ界で最も充実しており、「ブログ宣伝」なるコミュニティに参加した次の日には1日6500PVを記録するという、プレステ版「ぼくのなつやすみ」で8月32日が出現したみたいな恐怖のバグもありましたが、まぁ以前よりは人目に触れてるのではないかと思っています。

ので、まぁ今後とも長い目で、よしなにお願いします。


さてさて、春! 春と言えば、お花見です。
去る4月12日の土曜、大学のこんなイベントに参加してきました。


教職課程履修者お花見懇親会

趣旨:教職を履修中の学生や教員免許取得を考えている新入生同士で学部を超えた交流をしましょう!(一部省略)


発端は3月末、大学で一番仲が良い職員さんと実はそこまで喋ったことがない後輩からのお誘いを受け、
卒業生枠で参加してほしいとのことだったので出向いてきました。

なるほど、普通のお花見では面白くないので「教職課程履修者」という枠で括り、
共通の話題を前提にした集まりにすることで結束力を増すと、こういうわけですな。

そうとなれば卒業生枠で呼ばれたうーちゃん、呑気に座ってるわけにもいきません。
教職資格を取りたい! 先生になりたい! といった志がある新入生が誤った道を歩まぬよう、
社会人として教職履修者の心を説くのが仕事です。

ここで思い返してみましょう。
教職課程ガイダンスを受講する際の心構え、
教職課程必修の授業の辛さ、
教育実習の緊張感、

思い返せば色んなことがありました……









…………












………………………











俺、教職取ってねえ……

(BGM:交響曲第6番「悲愴」/チャイコフスキー)




いやいやちょっと待って、おかしい。すこぶるおかしい。
俺、教職課程履修してないよ? 先生になる気、さらさらなかったよ?
何なら「教職課程」というものの存在を知ったの2年の夏休みだよ?
そんな俺が教職課程履修者の花見に行って大丈夫なの?



(ほわんほわんほわん)


うー「OBのうーちゃんです。教職は取ってませんでした。よろしく」
2年「おいおい、教職取ってないのにこの花見に来るとはクレイジーな奴だ」
1年「本当っすよね2年さん、おいOB、ここは教職履修者以外入っちゃいけない神聖な場なんだよ」
4年「誰に誘われたか知らないが今すぐに帰るんだな」
3年「悔しかったらもう一度大学に入りなおして教職を履修しろ、このチンカスが!」
全員「チンカス!! チンカス!! チンカス!!」
うー「うぅぅ……ごめんなさい、チンカスで惨めな俺を踏んでください……」



(ほわんほわんほわん)






いやだ……!!



休みを返上してこの扱い、嫌です。これは由々しき事態となりました。
教職履修者の在学生で溢れ返る中、教職取ってない卒業生が一人居るって意味が分かりません。
何ですかそれは国会に立つアントニオ猪木ですか。
そんな浮いた感じのは嫌です。
というかそもそも、そんな俺が参加していいわけがありません。
これは多分何かの手違いなので、誘ってくれた後輩に連絡を取りましょう。



うー「ちょっとちょっとK君、俺、教職課程に全く関わってなかったんやけど参加していいの!?」
K君「いいですよ~」



いいみたいです。



そうと決まれば話は早い!
幸運にも花見開催日は仕事が休みだったので、リフレッシュを目的として出向こうではありませんか。


予告:教職履修者の花見に誘われてしまったうーちゃん。
楽しみだけども、「教職履修者あるある」とかで盛り上がられても困る!
それは何としても阻止しなければならない! あぁどうしよう! もういいや! 何とでもなれ!

次回、お花見奮闘記2
教職履修者の方が少ない件について
お楽しみに!




7月11日追記:


どうもお久しぶりです。体調がメタメタに崩れて休んでおりました。全3回を予定していたお花見奮闘記ですが、完全に何があったか忘れたので、誠に勝手ながら第1回をもちまして終了させていただきます。ただ一つ、私に言えるのは、本当に教職履修者が3人くらいしかいなかったことです。


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遁世雑記其ノ二十五 「バス日記11 歩けども、歩けども」

忘れもしない2月11日、この日は俺が学内で手伝わせてもらっている広報ブログの最終ミーティングであった。
既に一部の学部を覗いて春休みになっているので出席者数も芳しくなく、同じく4年生の女の子(以下N子)と共にウダウダ云いながらミーティングを終わらせ、早々に帰宅することにした。
普段は繁忙している場の静かな風景というのはその落差が大きければ大きいほど、その場の良さを再認識できるという点で非常に好きなんだけども、大学もその例に漏れず、昼日中にも関わらず人のいないキャンパスというのはある種の情緒深さを感じさせる趣があり、せっかくなのだからベンチで日向ぼっこでもして帰ろうかと思案しつつ中庭に出ると……









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中学生が500人くらいおる(白目)






何これは? 大学主催中学生の見本市?

いよいよ大学全入時代に突入し、各大学でのオリジナリティ溢れる特色が求められる昨今、我が大学も生き残りをかけて大胆な行動に出たものである。しかしながら、俺は中学生よりも年上女性が好きなのである。どれくらい好きかと聞かれれば、昼寝よりも金よりも三度の飯よりも年上女性が好きなわけで、これはもう年上女性が近くにいるだけで何も食べなくても生きていけるし、ロシア海軍も一人で壊滅させられると思うんだけども、だからと言って年上女性ばかりと付き合ってきたのかというとそういうわけでもない。また最近では年上女性であれば何でも良いのかという根本的な問題に疑問が生まれ、冷静さと大人っぽさを兼ね備えていれば年齢など微々たる問題なのではないか、それが証拠に最近は大人びた年下女性にも目を向けるようになってきて、いわゆるストライクゾーンが広まりつつあるんだけども、そもそも年上女性の魅力というのは……まぁ年上女性の話はいいか


後々聞いた話なんだけども、この日は私立高校の受験があり、大学を一部会場として使用していたらしい。

緊急事態につき、平穏を満喫しようとしていた俺の脳内はブチ切れ、早々にバスに乗って帰宅してやろうとバス停まで下るものの、中学生の行列の先頭は当然バス停にあるわけで、これはもはや怒髪昇天、大学前の坂の下にあるバス停でバスに乗ろうと画策した。

フハハ。この方法は大学に在籍しない人には分からない特権で、大学から3つ目のバス停は他方からもバスがくるため、こちらに乗ればいくら大学前が人で溢れていようと無関係なのだ。俺はN子と共に他愛も無い話をしながら坂を下り、時々中学生を見つつ、フハ、フハハ、君たちはそこで何十分も待っていたまえ、フハハ、滑稽! フハハ滑稽!! 滑稽!! と今は亡きバラガン閣下のように嘲笑しながらバス停に到達すると、





rgerergerge (1)



まだまだおる(白目)


え、何なのこの中学生たちは?
何でここの学生でもないのに「ここから乗ればいいんじゃね?」みたいな顔してるの?
頭いいの?
他者を喰らって生きてるの?
食物連鎖の頂点なの?

これは困った。結局はバスに乗れても中学生の大群に揉まれて立ってなければならないわけで、否、俺たちは座りたいのだ、座って窓から入る陽でも浴びながら眠気に襲われたいのだという思いが先行し、6個先くらいのバス停まで歩くことを決意した。

俺はせめてもの抵抗の証として、歩き去る間際に中学生の大群を一瞥し「お前らの親族全員ハゲろ」と500億回くらい唱えた



再び他愛も無い話をしながら裏道を歩く。裏道というのは非常に情緒深く、俺が敬愛している宮本浩次なども裏道の散策を好んでおり、そこにあるふとした風景に郷愁を感じられずにいられないものなのである。

潰れかけのコンビニ。

川べりに溜まったゴミの異臭。

教育問題について金切り声で旦那にブチ切れるヤンママ。




ち、ちくしょう……




郷愁もクソもねえ……




バス停に辿り着く。まさかとは思ったが、人がいないバス停を求めて歩き続けてる中学生が多く、大学から6個目のバス停においても未だ数人の子がいた。
俺たちはもうヤケクソで、3方面からバスが来るバス停まで歩き続けることにした。

その過程において、「あっ、○○ちゃん、バスが後ろから来ちゃったよ、バス停までもうちょっとだから頑張って走ろう!」「そうだね○○ちゃん!」みたいな健気な女子中学生が一生懸命走ってるんだけども完全に駅直通バスで落胆する様子が可愛かったので、これを見れただけでも歩いた甲斐があったというもの。

大学から合計45分ほど歩き、10個目くらいのバス停が見えてきた。ここまでくればもう怖いもの無し、平日の昼間に多方面から来るバスは往々にして人が少ない。

と、バス停まであと数10メートルというところで俺とN子の横をバスが通り過ぎた。チラッと中を見たが人は全然いない。これだ!
「N子ちゃん! 走ってあのバス乗ろうぜ! もう次のバスいつ来るか分からんしちょっと走るだけやから頑張っ「えーダルいやん」そうだね次の待とうか


絶対王政ならぬ絶対女王政を垣間見せながら再び10分ほど待った俺とN子は、無事人がほとんどいないバスの後部座席に乗ることができた。
バスの中ではようやく座れたことに対する安堵感から「大富豪でダンディなおじ様と結婚したい」「俺は年上OLのヒモになりたい」ダメ人間男女代表みたいな会話を繰り広げつつ、バスは駅に付いた。

駅前にも先ほどの中学生が溢れ返っており、彼ら彼女らのキャピキャピしているさまを凝視しながら「お前らの親族全員ハゲろ」と120兆回くらい唱えた


その後は速攻で家に帰ってもう無茶苦茶に寝た。(親族が全員ハゲる夢を見た)



いとをかし、いとをかし


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遁世雑記其ノ二十四 「かかる暮らしの釘一本」

(2011年7月記 改稿)




往々にして人間というものは畢生において果たすべき役割があって、その役割を果たすまでは人間は刺されようが撃たれようが死なぬというのが持論なんだけども、そんなだから高校の時に精神病を患い圧倒的なまでの浮遊感と一体化し、死の手前まで追い詰められてセブンティーンの記憶の一切が抜け落ちた俺も現在までこうして何んとか無様に行き伸ばしてるわけである。即ち俺に与えられた役割を見つけることが20代のうちの天命であると考えているわけなんだけども、果たしてそんな大層な役割なんぞはすぐに見つかる代物でもなく、思案に思案を重ね、この瞬間より次に与えられた命題こそが人生の役割だと捉えることにしようと熟考していると、母親に声をかけられた。




「なぁ、ちょっと」
「ん?」
「トイレのドアノブから釘飛び出てるから直しといて」










俺の人生の役割:トイレのドアノブを直す(吐血)




おいちょっと待て、俺にこんな役割を与えた神を呼んでこい。前言撤回である。役割を定めるのは延期することにした。


それにしてもうちのトイレのドアノブ、正確にはノブの下の部分から釘が飛び出ており、危険なことこの上ない。
幾度となくトンカチでぶん殴っても鮫の歯のように何度も何度も飛び出てきやがり、なんだこいつは、ペットとして飼ってやろうかと思うくらい飛び出てくる。
しかしながらこれは何度もトンカチでぶん殴る以外に解決方法が無く、鉄鋼や貴金属の類に詳しい叔父なんかはトイレごとぶっ壊せと野蛮なアドバイスをくれるんだけども、当然トイレをぶっ壊してしまえば我々家族の膀胱が破裂してご近所さんの笑いものになり路頭に迷うわけであって、かかる暮らしの中、今日もトンカチでぶん殴るのである。


一見、大げさに云うほどでもないんだけども、少しでも目を離した隙にすくすく育つ様は非常に厄介で、というのも、例えば我が家に来客が来た場合である。
その際にちょろっとだけ出ていた釘を見つけた場合は「あ、釘が飛び出てる、危ないなぁ」くらいにしか思わないんだけども、おもくそ出ていた場合は「あ、これウォシュレットのボタンかな」みたいな感じで押しかねず、そうなった場合、客の指に傷がつくわ、恥をかくわ、ウォシュレット出ないわでもう最悪、訴訟を起こされて結局のところ我が家は路頭に迷ってしまうわけで、この状況を打開せねばならないのである。


そんなわけでこのうーちゃん、大工の一つも出来ずに男を名乗ってられるかい、普段から映画や女や云うとるわけやあらしまへんのやで、と工具セットを片手に一人トイレに閉じこもり、ノブと格闘した7月の初旬である。

しかしながらこれがどうにも巧くいかず、細い隙間にトンカチをぶち込まなければならない上に二度と出てこない仕掛けを作る必要があって、ドライバーやペンチでいじくり回したところで釘は何度も出てくるし、かと言って乱打してしまってはノブがぶっ壊れて話にならないので、なかなか頭の使う作業である。

そうしてクーラーも扇風機もあるわけのない密閉した空間で、業者でもない俺がトンカチを振り続け、汗をかき、視界がぼやけ、脳内にある黒点が膨張し、思考力は低下、循環機能のバランスが崩れ、森羅万象の秩序は崩壊、社会には懐疑と憎悪の念が蔓延り、街は遁世者で溢れ返り、生き場を失った女は涙を流し、捨鉢に拉がれた男は首を吊り、三文ヒューマニズムに引っかかった子供たちは絶望し、愚鈍は腰を振り、老骨は摂取し、狂気の情念が浮世を律動し、そして何もかも滅んでいったのであった……





ドアノブから飛び出た釘一本押し込めぬだけで、将来に対する絶望と猜疑が押し寄せ、右手にトンカチ、左手にペンチを持ったまま、頭を抱えた体勢で暑苦しくおまけに臭い便座に座りこむ俺。窓の外では高校生のカップルがキャッキャ云いながら楽しく制服デートにいそしんでいるというのに、俺は何をやっているのだ。こんなのではダメだ。こんなところで堕落してはならぬ。将来を有意義に過ごすためにも、年上で個性的で映画好きでメガネでムチムチで世間のルートに乗らず自由な生き方をしている嫁さんを貰ってヨーロッパの映画を観ながらキャッキャ云いあう人生を送るためにも、俺はここで釘を引込めなければならないのだ。

意を決した俺は再びトンカチを握った右手に力を込め、作戦を練り直した。
釘を何んとかしようと思っているうちはダメなのだ。釘を精一杯押し込め、もう二度と出てこようと思わぬほどに打ち付けてやるのだ。それしかない。
未だ見ぬ楽しい人生を考えると俄然力が湧いてきた俺は、渾身の力を込めてトンカチを振りかぶった。
















ブゥゥゥゥゥン
















ガツーーーーーーーーーーーーン
















オンギャアァアァアァアァアァ!!!!!

































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なぁおかん






めんどくさいから親父に任せよう
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遁世雑記其ノ二十三 「いき遅れた老骨もまた儚し」

先日、2人の友人と駅前を歩いていると、左前方にニット帽を被った平凡な老人がいるのに気付いた。
その老人たるや歩く速度が非常に遅く、20m近く離れて歩いていた俺たちがものの数秒で横並びになるという物理学の常識を覆しかねない珍事が発生した。
しかし直後、そのような珍事を圧倒的に凌駕する珍事が立て続けに発生したのだから人生は面白い。
その老人が突然俺に話しかけてきたのである。

「……話は変わるんやけどな」










( ・_・)(・八・ )






いやいやちょっと待て。
たまたま横を歩いてた若者を捕まえて「話しは変わるんやけどな」って何だその斬新な会話術は



俺は思案した。もしかすると、これは俺よりも50年多く人生を経験したこの老人が身に付けた一つの処世術ではないか?

つまるところ、女性がいきなり近付いてきた男に「今何してるの?」とか「一人?」とか尋ねられた場合はナンパに相違いないわけであって、興味のない女性ならば「今忙しいので」と見向きもせずに立ち去るのが通例であるが、男の第一声が「話しは変わるんだけど」であった場合どうなるであろうか。

突然、初対面の男にそう云われると、女性は「えっ、何?」と足を止めざるを得ないのではないか。
そうなるとこれはもう男のペース、「話しは変わるんだけどお茶しない?」などと語尾を付け足せば、気が動転している女性は思考回路に深刻な支障をきたし、「え、あ、はい」と思わず承諾し、思いのほか話が弾んだ結果その1時間後にはホテルに直行という可能性もあり得るのではないか?(真顔)





そう考えると、この切り出し方は深い。これは話しかけられた側にも相当な会話のテクニックが要求される。その返事によって、会話の主導権がどちらになり、その後どういった流れになるかが決定するからである。



これらの考えが僅か0.3秒のうちに脳内を駆け巡り、俺は「はぁ、何すか」思考を何一つ生かせてない盆暗な返事をしていた。

俺が微かな緊張で体を硬直させていると、老人は皺だらけの顔に更に皺を寄せ、ドスの利いた声で





「わしって、足が短いんかなぁ」

















知らんがな










あんたの足が短いかどうかは紅白歌合戦の勝敗くらいどうでもいいので知ったこっちゃないんだけども、表情は変わらず真剣そのものなので、会話を続けてみた。

「どうしたんすか」
「いやな、わしの足が短いんか思うて。わしの横、若いもんみんなスーっとな、追い抜いていきよる。わしなんかお前、道歩いとって何人に抜かれたか分からん」

ははぁ。つまりこの爺さんは周りを歩いている人たち全員が自分を追い抜いており、もしかすると自分の足が短く歩幅が狭いのが原因かもしれぬ、そうに違いないと案じて、自分を追い抜く若者の一人である俺に救いの手を差し伸べる意味を込めて悩みを打ち明けたのである。知るかボケ




「まぁ、みんな歩くの早いですからね」
「時代の流れっちゅうもんは、恐ろしいな」
「ほんまそうですね」
「兄ちゃんなんかお前、足長いのにわしと同じでゆっくりやがな」
「もう少しゆったりと生きたいもんですよね」
「兄ちゃんええマフラーしとるやないか」





もうちょっと話まとめてから来てもらえますかね






何が悲しくて昼日中からどこぞの爺さんと世間話をしなければならないのだ。気付けば俺の横にいた友人たちも、俺が話しかけられると同時に「ファサー」という擬音と共に5歩後ろに下がっていたため、これはもはや切歯扼腕、謎の爺さんはうーちゃんに任せておこうというオーラが背後から脳髄に伝わり、俺は一番左を歩いていたことに関して凄まじい後悔の念に駆られた。



「え、はぁ、どうも」
「恋人のプレゼントかいな、え?」
「いやー彼女はいないですよ。自分で買いました」
「わしそこの角にある飲み屋の常連やねん」








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何だこれは。
なぜこうもキャッチボールにならないんだ?
冒頭の「話しは変わるんやけどな」を適所に組み込んでくれということか?
会話の時系列を並び替えると成立するのか?
この爺さんはクリストファーノーランの映画なのか?


そこの角にある飲み屋の常連やねん、と口走った爺さんは突然豪快に笑い始め、「ほなな!」と手を振り、パチンコ屋の中を3秒ほど覗いてどこかに消えていった。

不意に訪れた別離に安堵するあまり、わけもわからず超爽やかな笑顔で「お疲れっす!」と口走ってしまったものだから、後ろから小走りで現れた友人に「今の人知り合い?(^-^)」と言われ、俺の中で小さな殺意が芽生えるのに時間はかからなかった。


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遁世雑記其ノ二十二 「バス日記10 白昼酔いどれ、くそたわけ」

人生に思い悩むあまり、いっそのことライターと花火と小麦粉を食って粉塵爆死でもしてやろうかというワイルドでロックでセンセーショナルでキチガイじみた葛藤に花咲かせていた日のことである。
バスの後段の最前列、つまり乗車してくる客が一番見える位置に座っていると、K停留所にて毒殺された大門圭介みたいな顔のジジイが乗り込んできた。毒殺されてなければ渡哲也に似てるのかという疑問はさて置いて、このジジイが俺の眉間に皺を3本作らせた元凶となるのである。
白昼にも関わらず酒臭いのだ。
この日、鼻炎によって鼻づまりが半端ではなかった俺の鼻腔を突き破るほどの臭気である。
別に真昼間から酒を飲もうが情事に励もうが人に迷惑さえかけなければ好きにすればいいが、この手の酔っ払いがバスに乗ってきて人に迷惑をかけなかった例がない。
案の定、酔いどれジジイは「ぁ゛ぁ゛ぁ゛ハァ~」還暦迎えたAV男優みたいな謎のうめき声を発しながら後部座席に邁進し、「どっこしゃーはらっしゃぁぁぁっほい」と喚きながら席に着いた。

もうこの段階で俺は通学の読書タイムを犯されて鬼瓦のような顔になってたと思うんだけども、勿論これだけにとどまらず、後部座席より隣の客に絡む酔いどれの声が聴こえてきた。
「ががぁぁ、寒いすなぁ、だはァ」
この酔いどれが俺の隣に座らなかったことを神に感謝していると、隣人の相槌が聞こえた。
「寒いなぁ、この辺は特に」
その声色たるや非常に野太く、野性的でドスの利いた老人を思わせた。
「ホッファァ、どびゃァ」
「ご機嫌でんな」
「あぁ、それりやァ、がハハァ」
「どこで引っかけとったんや、え?」

いつもの如く酔いどれジジイの放蕩不羈によってバス中が迷惑を被るかと思いきや意外や意外、隣の老人たるや気炎万丈、酔いどれと互角に渡り合っているのだから面白い。これがコミュ力か。

バスはなおも進み、M停留所に泊まる。ここでもう一人客が乗ってきたんだけども、551の豚まんが無いときの関西人くらいテンションの低いおっさんであった。眉毛はエイドリアン・ブロディ、目は中村静香、口は薬師丸ひろこ、更になで肩という何もかもが垂れ下がってるあまり今にも地面に埋まりそうな中年のおっさんであるが、これで更に謎の笑顔が描かれたヨレヨレのTシャツにジーパンを着こなし、手にはキャリーケースを持ってるものだからもはや意味が分からない。
おっさんは負のオーラをバス中にまき散らしながら通路を挟んで反対側の席に座った。

バスが次の信号で停車した瞬間である。俺の背後から「どばァくしゃラァァァァ!!」と、とんでもない音量のくしゃみが聞こえてきた。これにはさすがの乗客たちも吃驚仰天、前方に座ってる舟を漕いでた女子高生は跳ねあがるように飛び起き、斜め前方の物理学者みたいな爺さんは万有引力を発見した瞬間のニュートンみたいな顔で振り向き、運転手はバックミラーに限界まで開いた目を覗かせ、俺はガラスにもたれかかっていたものだから頭を思い切りぶつけて悶絶していた。

しかしながらそれ以上に驚いたのは隣にいるおっさんの反応である。
目をかっと見開いたかと思うと口元をにやつかせながらゆっくりと背後を振り返った。これで彼が「Here's Johnny!」と叫んでたらパズズにとり憑かれたジャックニコルソンになるんだけども、とにかくその狂気を秘めた笑みたるや酔いどれジジイの存在よりも恐ろしく、俺は見てはいけないものを見てしまったかのように縮こまり小リスのように震えていた。件の老人との会話が再び聴こえてくる。
「鼻がだァ、だらァ、ドわっはァーォ」
「えらい大変や、おう」
「くゎははははは!!」
「ご機嫌、ご機嫌」

酔いどれを物ともしない老人の対応力に一時は感嘆したものの、よくよく考えれば序盤から何一つ会話になってない。
まぁ会話が成り立つはずもないのは一目瞭然なんだけども、しかしながら、このドスの利いた老人の外見を一目見てやろうとさり気なく振り向いた瞬間、俺の目に信じられない映像が飛び込んできた。







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そこに座っていたのはドンキーコングであった。
いや、生物学的に云えば"ドンキーコングもどき"なのだと思うが、そのゴリラじみたいかつい皺だらけの顔、明らかに格闘技経験者である恰幅の良い体付き、その全てが彼をドンキーコングであると確証付けていた。

かつて俺がバスで遭遇した人の中で湯婆婆に酷似した老婆 がいたが、あれを容易く凌駕するほどのものである。
何と云えばいいか、ドンキーコングと渡辺哲と安岡力也を足して渡辺哲と安岡力也を引いたような感じであると説明すれば分かってもらえるだろうか。

俺が生ドンキーを見て興奮している間に、バスは終点から2つ前のH停留所に止まっており、隣に座っていた謎のおっさんが降りようとしていた。何から何まで謎のおっさんである。
これが金田一なら後々あのおっさんはバラバラ死体で発見されるポジションだなと考えている間に、バスは終点に到着した。読書の"ど"の字も出てこないような通学の時間であった。

俺は両替しなければならなかったので座ったまま待機。仰天女子高生やニュートンが降りていき、白昼酔いどれが「うぇあー」と酒の臭いをまき散らしながら降りていき、最後にドンキーコングが降りるんだけども、何と5歳くらいの男の子と女の子が一緒にいたのでディディとディクシーもおるやないかと我ながら鋭いツッコミを脳内で繰り広げながら、孫が一緒だったことに驚きを禁じ得ないという表情をしながらバスを降りたのであった。





いとをかし、いとをかし

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プロフィール

寂々兵

Author:寂々兵
都会の映画祭や名画座に指を咥えながら日々を過ごす田舎在住の一介の映画好き。奇怪、不穏、不条理といったテーマの映画に惹かれますがフランスのラブコメも好きです。最近は80年代前後の未DVD化作品の発掘に邁進中。たまにライターなど。将来の目標はヒモ。

*好きな監督*
ジャン=ピエール・メルヴィル
キム・ギヨン
クロード・シャブロル
エドワード・ヤン
アレックス・デ・ラ・イグレシア
岡本喜八


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